U2-HOUSE

02 家をたてました

2002.12.03
住み始めて2ヶ月が経った。コンクリートブロックと桐板をのせて作った横長の本棚、安いスプルースの2X材で作ったデスク下の棚、レンガと2X材の小さなバルコニーベンチ、カーブのワイン棚、一つずつ作っている。予算があれば作ってもらえただろうけど建て具は頼むと高いので家と一緒に作るのはやめた。作るのは嫌いな方でもないけれど、時間、労力、仕上がりのクオリティ等考慮すると買った方が素直にいいと思ってしまう。今日もペンキの練習に小さなスツールをオスモカラー ( アホみたいに高っか。いわゆるブランドものですから ) で塗ってみた。あまりうまくできなかったけれど、すっかりにわかDIYerになっている。2階のベランダのデッキが次の目標ですが、材料費のみでベランダガーデンデザイン、施行までやって下さる方いませんでしょうか?ガーデンデザインの学生さん腕試しにどうでしょう。交通費と施工時の食事ぐらいしかお出しできませんが...多分いませんよね...というわけでデゥーパを通勤電車の中で読みあさっている今日この頃なのです。

場所

2年前の夏、家という物を意識した。漠然とは3年前、息子が生まれてきて、移動の自由を確保しようと2CV ( 車 ) を買ったあたりにはもう、うすうす意識していたのかもしれない。いきなり話は逸れるけれど2CV ( ドゥ · セ · ヴォー ) は本当にいい車だ ( 手前味噌です ) 。はっきりした個性のあるフォルム、愛らしく、そのくせタフ。ファイブドアで荷物をしっかり置ける後部。天井が高く、ほぼフルオープンにもなる。何と言う開放感、屋根が開くから2mの板だって運べる。大きすぎず、小さすぎず。単純な機械類、明晰な哲学。まるでコルビジェのデザインした車の様 ·  ·  · 。それなのに、オートマじゃないし、クーラーがないというので、現代の車としてはボツにされてしまうのね ·  ·  · 。
何のための移動の自由か。小さな息子を連れての移動。   ·  ·  ·  ·  ·  ·  ·  ·  ·  ·     場所探し。
海の見える所がいいよなあ。仕事が大森だから藤沢、鎌倉、逗子、三崎口あたり。1時間20分ぐらいなら今と変わらない。僕らは開放感を求め、海の見える家に住むことにした。崖の上に建つ白い南仏風のお屋敷、コバルトブルーの海。そうここはビルフランシュ · シュール · メール。ニースの隣りの町。のどかでそれでいてシャレていて、海岸には魚料理を得意とするレストランがあって、コクトーが内部を描いたチャペルがある。夏は海岸でお昼寝。冬は海を見つめる。水は心を根源的に和ませてくれる。そんな町。そんな所。がしかし、そんな訳はあるはずもなかった。きれいな海は心の中にある憩いの場。あこがれの様なもの。僕らの生活を考えれば、たまに行く海の方がリアルで、ユーロスペースで映画を観たり、サントリーホールのコンサートに行ったり、表参道へ買い物や千駄木の夕焼けだんだんへ散歩に行くことの方が明らかに重要だった。カネフスキーの映画やカエターノのコンサートなんて湘南では多分見れないでしょう? ( ニースなら見れそうだけど,,,。 ) 
東急沿線の郊外、つまり東京寄りの神奈川県というのも候補にはあがっていたが川で分断された遠離感、僕自身の江戸っ子的気質 ( せっかちな身のこなし ) が郊外で折り合いが付くのか等の疑問もあり、土地の広さや値段よりそういうことを優先させた。それに郊外のベッドタウンて、何か変な感じしません? ( 個人的ですいません ) 。
そうなると東京のどこにしようか?実家と仕事場が大森なのでそれがひとつの重要な条件ではあった。都心か、なじみのある城南地区ぐらいか。山手線内に住むには覚悟がいるし ·  ·  · 。漠然とそう思う。青山、白金、広尾、あたりなら環境もいいのかもしれないけど、やっぱり都市には変わりなく ( 僕らはあまり車の多い所は好みではない ) 、高くて買える物件なんてほとんどないのではないだろうか。喫茶店でも中央の席より隅の方のが居心地がいいと思ってしまう感覚、僕らは原始的だ。関係ないことだが、高層ビルもまたどうしても住む気になれない。チベットの山岳地域やエクアドルに住む人間もいるのだから問題ないといってしまえばそれまでだが、私的に言わせてもらえば原始的な生命維持のカンヌキをひとつ抜かないと、1次元高度に人間自体がならないといけないような気がする。住んでいる方に言わせれば何言ってるのと言われるだろうけど、そういうの平気っていう方たちって新人類だと僕は思っている。統計学的に見ても早死確率が多い様ですし。 ( 冗談 ) 
家を建てるにあたり一番楽しかったのが土地探しだ。結局期間は短い間だったけれど、もっと時間をかけてもよかったなあと今となってはそう思う。お散歩の延長戦で土地探しをしていた。それにまだ買っていない気楽さがあった。始めは土地探しがどういうものなのかも分からなかったので、週刊住宅情報を毎週水曜日に買って探していた。住んでいたマンションの管理会社の不動屋さんにも相談にいった。マンションの管理がしっかりしていて、本当にきれいにしてくれていたし、その地域の不動産では圧倒的に強いと聞いていたので、切り札的にかなり当てにしていた。
待っていても連絡はなかった。僕らの予算でその地域では土地はなかなか見つからないのだ。住宅情報を買っていくうちに分かってきた。それでも少しずつ雑誌に附箋が付いていった。そして場所は城南地区に絞られていった。2CVの出番だった。週末になると目黒区、大田区、世田谷区と大活躍で走ってくれた。僕らのやり方は雑誌で金額的に買えそうな範囲の物件を捜し、内容を読み、幾らか興味のあるものは不動産屋に電話を入れて場所を教えてもらうというやり方。雑誌に出ている物件はたいてい大手の会社なので、お客を捕まえようという意気込み満々ですぐにご案内しますと対応された。彼等主導に進められては、せっかくの楽しい散歩にならないので、しつこく番地まで教えてもらって地図を買い、町を見ながら、進めていった。実際に50件ぐらいは見たと思う。久が原、奥沢、田園調布、自由が丘、祐天寺、下北沢、梅が丘、経堂、千歳船橋、祖師谷大蔵、成城、二子玉川等。
物件としては更地の土地、古家ありの土地、中古物件をおもに捜していた。条件付き土地と言うのもあるが ( だいだい土地の値段は安く押さえられている ) できれば避けたいと思っていた。条件付き土地とは大体施行会社が決まっている物件のことで、僕らとしては施行会社が施行料をふっかけてきたら、ノーと言えない立場になってしまう可能性があると解釈した。相見積はとれないし、設計でも相手が強い立場にいる感じしませんか。誤解を招くといけないので言っておくが、そういう土地で家を建てた方はおそらく沢山いて、別に問題ない方も当たり前にいると思うし、建て売りを買う感覚にちょっと建てるテイストを味わえるので、ヘビーにしない方にはいいんだと思う。また何とか設計家を施行会社でない方で立てて、施行を自分サイドに持って行った方も雑誌で読んだ事はあるが。
子供が小さかったので土地探しもあまり無理もできない。しかし見たい物件が出て来たなんていう時は仕事帰りに見に行った事もたびたびある。知らない町の冬の夜道はなかなか寂しくもあり、ひとりの世界にどっと入ってしまう。目的物の周りをうろうろして、傍から見るといわゆる不審人物だ。おまわりさんには会いたくないような、何か悪い人になった様な感じまで味わえる。
その頃のメモがあるのでちょっと記す。
7. Nov 2000
この2、3週間大手不動産屋から情報を貰い、いくらかの建て売り、中古の家、土地を見に行った。シャイな僕らは出来るだけ営業マンに捕まらないように捨て看板の広告を見たりして、息子を自転車の前に乗せ、今日は砧界隈をぶらぶら散歩ならぬ、散転をしながら捜した。
まったく分からなかった、この業界の常識というか、ルールというものが「あ、こんなことかあ。」と実際に体感することで分かってくるものがあった。しかし生涯最大の買い物の世界はやっぱり変で、たとえば、3,000万という途轍もない金額が安易に口にされてしまうのである。僕らは今までそんな大金は実生活で口になどほぼしたことがなかったのに。
建て売り、中古、土地の3つどもえでリサーチを掛けたが最初は土地だけにしぼってやった方がいいように思えてきた。現実としては3,500万円ぐらいで20坪ぐらいあり、世田谷、大田、目黒界隈の物件はかなり厳しい条件ではあるが、けして不可能ではないだろうと思えるようになった。それがこの2、3週間の収穫ではないだろうか。今後どうなるか分からないが取り敢えず土地のみでやってみようかと思った。
今日見た物件
1. 土地は南に面したひな壇状の傾斜地で日当たりは良さそうで車道りも少なくまあ良かったが駅より遠く、条件付きのフリープラン ( ○○ホーム ) の土地で価格は僕らには高い。
4450万円
 土 117.73
 所 喜多見6
 建ぺ 40%
 容 80%
 南面道路
 セットバック済
2.土地がかなり小さい日当たり悪い感じ、駅には近い、古家あり
3000万円
 土 55.51
 所 砧3
 建ぺ 50%
 容 100%
 古家あり
 セットバック3.21
3.敷地延長の土地何だかぱっとしない
3950万円
 土 65.32 ( 私18.52 ) 
 所 砧3
 建ぺ 50%
 容 100%
 古家あり
25. Nov 2000
今日はついに朝から不動産屋さんといっしょに土地、家を見に行った。ないことはないなあと思えたのが収穫か。午後に行った不動産屋は最悪で、つまりは担当者が気がまったく回らなく、僕らの見たい物より自分が売りたい物中心で、あげくのはてには土地から捜して、お嫁さんが悲しんだ話をし、建て売りにしろと半ばヤクザの様な立ち居ふるまい。疲れて帰るはめになった。これからももっといやな思いをすることがあるだろうがめげない様にと妻と話し合った。
こんな感じて土地を見て歩いていた。僕は大森生まれなのでできればそこからちょっと離れたかった。下町はどうしてもディープになる。いい意味でも、悪い意味でも。だらしないがニュートラルな世田谷のが楽な感じがした。ディープはディープをよび、なかなかしんどいから。
町自体にも年令と言うのがある気がする。住宅地として盛りが終わり、商店街が老人ばかりのところや新興住宅地のヤンママばかりのところよりバランスよく子供から老人までいる所。商店街に活気があり、環境が良く、静かではあるが、寂しく、暗く感じない所。駅から歩けて行ければ15分位かかってもかまわない。僕は歩くのは基本的に好きだ。いろんなものが見れるから。そんな所がいい。
場所探しは楽しい。しかし場所とはいったい何なのだろう。現場の土の質がさらさらだからといって気に入る訳では無いし、すっぽり空いた四角の更地を見て、いい土地だと思うわけではない。同じ広さでも都内では坪200万円、田舎では坪5,000円。限定された空間、その場の空気、その場所の他の物との関係性。隣の家との、道との、金額との、電柱との、近くのビルとの、太陽の位置との、土壌の質との、最寄りの駅との、バス停との、都心との、いなかとの、勤務地との、公園との、日本との、世界との関係。そんなことが重要なのではないだろうか。ここで構造主義の話に展開するつもりはないが、こういうものを総合的に判断するには根源的な動植物的なカンが一番なのかもしれない。ルイス I  カーンの、アリストテレスの場所。場所の特異性。固有性。考えても根源的なところに起因する。物件の見方の注意と言うのもあるので若干の知識も必要だけれど。接道幅が足りず新しく建築できない土地や、都市計画や道路計画があり、建ててもすぐに立ち退かなければならない土地、隣に大きな建築計画があったりする土地。北側斜線、道路斜線、高さ制限、土地用途、隣人の人柄等いろいろ。不動産屋さんは売る側で僕らは買う側、高い買い物だけに用心しなくてはいけない。できることならその筋にくわしい味方が欲しいところだ。あっそうだ建築家を味方にすればいいんじゃないの。そういわけで山嵜さんにめぐり会うことになる。最終的に決めた場所も一様見て頂いてから買う事にした。もちろん奥さんの「ここがいい」の一言があったのは言うまでも無い。
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