U2-HOUSE

19 家をたてました 「実施設計 ( 突起物幻想や… ) 」

2005.07.04
基本設計 ( 施主が設計に参加できる部分 ) はあっという間に終わってしまった感じがする。実施設計に入ると設計事務所から音沙汰が無くなりますと、最初に山嵜さんから伺っていたので、そういうものかと僕らも静かにしていた。それでも基本設計で燃え残ったカオスはずっと抱えていて、なんとかしなければいけないと思っていた。我が家は全くの箱型なのでそこに生命体が暮らすにはしんどいのではないかなあと考えていた。人間、住めと言われれば、たとえミースの家でも住めるだろうが、きっと悲しい感じが付きまとうだろうなあと僕は考えていた。コルビジェのサヴォア邸でさえ屋上に突起した部分 ( ソラリウム ) があって、オブジェ的要素を残しているのは、人間的な突起物 ( 個性 ) だと僕としては考えていたので、我が家にも箱を崩す突起物をと、夕食後に下手な絵を書いては2、3ヶ月あくせくしていた。しかし絵はきれいに収まらない。どうしても収まらない。頭の中に屋上の?の突起物がいつも引っ掛かっていた。それで山嵜さんに恐る恐る挑んでみた。建築家たるものシロウトから表の形までの提案には首は縦には振らないだろうなあと思ったので、2階の天井を、特にリビングスペースの天井をもう少し高くしたいのですがと。暖気を上から抜くために ( または地下に落とす装置を有効にするために ) もリビング部だけでも高くしたいと…。 ( 北側斜線はもちろんある ) もう半層高くすれば、直接屋上階と視覚的コミニュケーションをもとれるし。
山嵜さんはこんな我がままな提案も煙にまくでもなく、まじめに考えてくれた。
無理は分かっていたが ( 特に予算的に ) それでも1%の期待をして回答を待った。
回答は2階全面を30cmアップするかわりに、地下階を30cm低くするというもの。図面までおこして回答してくださった。
予算はオーバー、それに造形的にも突起はやりたくなかったのだろう。
無理だ。地下は210cmでは息苦しい。あきらめよう。事務所には余計なことに労力を使わせてしまい、申し訳なく思った。それでも他人の家でない。自分の家だ。黙って、もごもごしないで伝えるだけはしたので後悔はしていない。
屋上を平面で行くのだったら、後から突起物をつくるって手もある。屋上小屋 ( 突起物幻想 ) 構想は2階をあきらめた時からある。コックピットガゼボ ( 設計;ノーマン、ロジャース ) と言うのを御存じだろうか。子供の時に空き地のマンホールで基地ごっことかしたことありません?あれの延長線にあるようなもの。もっとも建築界の巨匠の作品だからかっちょよくなってはいるのですが基本は同じだと僕は思います。建設前の山嵜さんに宛てた最後のファックスで今後の展開として、やりませんかと書いたのですが、あまりいいご返答はもらっていない。予算のこともあるので自分でやることになってしまうのか、風力のこと、強度のこと等も屋上上のことなので考えないと危ないので、僕自身逃げ腰になっていますが、頭の中には屋上小屋の幻想は現在もまだあります。それが、「ボッティングシェッド兼勉強部屋で人が寝れるくらいの出きるだけ小さなかわいいスペース」です。

話は戻り、実施設計、施工会社を決める、施工とこの後流れて行きます。
5社ぐらいに見積もりをお願いしていただいたのですが、はじめに引っ掛かっていたとおり、全て500万円から1,000万円ぐらいの予算オーバーでした。 ( いくらか高く見積もるのはある程度常識のようですが? ) 我が家の原案は基本的にシンプルですからこれ以上省いていくものがあまりないのも事実で、かなりさびしい方向になっていくのかなあと2001年の年末頃は覚悟をしていたのだと思います。RCはやっぱりきびしかったのかなあとか、木造やり直し案も悪くないなあとか、何を捨てることができるかとか考えながら、年を越したのだと思います。
年明けにした最初の電話かミーティングで山嵜さんから施工会社を紹介してくれる方がいるから、会いに行きましょうと言う知らせ。何だかよく分からなかったが渡りに船なら乗るしか無いと銀座にショールームがある大きなデザイン会社の専務取締役の方とそのマダムに会いに行きました。山嵜さんの人脈と言おうか、山嵜さんを認めているというのか、僕らのコネクションではまったくないのに、親戚の施工会社をこの低予算、省きものなしで、紹介してくださった。
この場をかりてすみませんが、滝沢様本当にありがとうございました。できるかぎり家を愛して暮らして行きます。そして心より感謝しています。ありがとうございます。
それからは施工会社の栄勝建設の社長田苗さん、橋口さんに家が立つまで ( 今でも ) お世話になります。
つづく
追伸 最近考えること
豊かさってどんなことなのだろうか。さまざまな物質を僕らは手に入れてきた。冷蔵庫、洗濯機、電話、テレビ、ステレオ、エアコン、自動車、湯沸かし器 ( 風呂 ) 、最近じゃPC、携帯、デジカメ、デジビデ、HDD、カーナビ、家電だけではない、グルメな食事に沢山の情報なんていうのもそうかな、まさにさまざま。<便利、快適>がキーワードになって欲望は膨らんで行く。ドゥルーズじゃないけどアメーバの様に右肩上がりの拡張、拡大、増殖。
片やそれと同時に怠惰な生活や安易な方法を探す癖、加速する時間の感覚に、過剰な情報に踊り、表面的な豊かさの裏の深い部分のプアーさ、身体感覚音痴な五感を欠いた考え、とても大切なもの、人間的なるものを失ってきつつある。
何でこんなことを書くのかと言うと、僕らの世代が社会的に認められて来ているのはうれしいことなのですが何だか根本的に変な方向に僕らの世代が誘導しているように感じたから。一様の教育を受けてきた世代だから、だいたい知的で流暢に語ったり書いたりしているようにも思うのだけど、いちばん最初の出発点にかなり強力なバランスの悪さや違和感が感じられて仕方が無い。おまけにそうした方向が受け入れられつつある状況にちょっと危機感を感じています。
たとえば、コミュニケーション。 
〈人から人に伝えることは大切。だからまず方法を勉強しよう。そしてそれを発展させて教育しよう。考えることを教育しよう。〉
こんなのは典型的な僕らの世代の考え方だろう。一見もっともなことを言っている様にも思われるかもしれないが、すぐHOW TOに展開してしまう安易な方法や考えることを教えることって一体何だ?って思えてこないだろうか。
教育だったらこんなのはどうだろう。
〈現在は多くの人が会社員になる。それに標準をあてた教育をするべき。文学を鑑賞する評論家的能力よりも自分の意見を論理的に伝える、ビジネス型能力重視にするべし。>
ここまでくるとこれを否定することこそひねくれ屋の烙印でも押されそうですが、教育ってそんなにプラティックなものなのかなあと力なく違和感を感じたりします。
最後にもうひとつだけ
<現代は資本主義なのだから欲望が社会を束ねて行く。新しいものは余り懐疑してもしょうがない。取り敢えず手に入れろ。要らないものはなくなっていくのだから。それに民主主義のまず第1番目は基本的人権の尊重だ。それを守らないものには怒りを感じる。ビジネスではロジカルにあるべきだ。>
脈絡のないものを結んでしまったが、出発点をみんな資本主義あたりにおいている口調だ。もっともだけれど、人間って根源的にはもっと深く出発しないと単なるコマになりはしないだろうか。
こんな細部の例を出してもしょうがないし、いったい何が言いたいのと言われてしまいそうですが、総じて言葉にはうまく表しにくいものなのでこうしました。ちょっと違うとは思うけれど、バランスの悪さと言うことかなあ。
人間はロボットや車の様な機械ではない。新しいものを手に入れれば、何かを失うことを自覚するべきですよね。暑くなったら、がばがばビールでは体に悪いにきまっているし、時間を携帯で埋めたり、空間をものや情報で埋めたり。メリット、デメリットを考えなくてはいけない。とくに安易に新しいものを手に入れたばかりに、本当になくしてはいけないものをなくしていることに気がつかないことも多いのではと思ったりもする。
便利、快適のキーワードで安易に手に入れたものの裏では、必ずと言っていいくらいに何かをなくしている。
具体的にはあまり書く気がないけれど、本当のゆたかさって何でしょう。
人間ってガソリンで動くものではなく、たえず入れ代わっていて、食べたものは血肉になり、今、体を形作くっていたものは明日には宇宙の違うものになります。<シュナイダー>遺伝子操作で死なない人ができてしまう世の中になりつつある昨今、死によって人間は一個人たりえ、人間でありえることを今一度考えざるおえないこの頃です。
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