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16 家をたてました 「家を建てる心得」

2004.09.03
家を建てようと考えた時、建ててから3年は家で遊べると思っていました。そろそろ2年になります。家の原稿は後1年にいたします。それ以後は新しいクライアントの方にお任せして、私は健康ものでもぼちぼちでやらせていただければいいなと考えております。 ( いつも · 勝手にしやがれ · です。ごめん。 ) 
ラスト1年闘わせていただきます。
家を立てることは暴力です。これを言うと山嵜さんは困った顔をしていました。しかしあえて言いたい、間違いなく暴力的なのです。土地に対してもそうですが ( だから地鎮祭はあるのです。 ) 環境や地域住民、その他、僕らが感じられない小さなことに対しても暴力的に振舞うのが建築です。家を立てるということは暴力の親玉になるということです。たとえ今まで謙虚にひた向きに生きてきたとしても、ひとたび家を建てるということになれば、それは暴力の親玉、勝者になるということです。
家を建てるには現在では重機械に ( 解体機つきシャベルカー、小割り圧砕機つきシャベルカー、アイアンフォ−クつきシャベルカー、ダンプカー、リフティングマグネットつきシャベルカー、鉄くず運搬トラック、バケットつきシャベルカー、解体ガラリサイクル車、ベルトコンベアー、油圧式パイルドライバー、コンクリートミキサー車、ラフテレンクレーン、ポンプ車、美樹さー車 ( 癒し系です ) 、建柱車、ホイールシャベルカー、高所作業車、振動ローラー、ブレードつきシャベルカー、クレーンつきトラック、垂直昇降式高所作業車、等 ) お世話になっているのです。全てではないですが、そいつらの親分は施主さん、あなたなのでございます ( 私もそうでした ) 。たとえ、木造の家でも、重機の種類はいくらか変われど同じです。
重機はデカく道を塞ぎ、よく公道で停車して、控えている車です。またディーゼルの匂いや、うるさく、活字にするとこんなんかなあ「ガアアアアアアアアアアアアアアアアー、」、「ブルン、バン」「ドオオオオオオオ」こんなのの終わりが無い繰り返し。振動もすごい。〈重機さん、建築業者のみなさま、すいません。悪気はまったくありません。〉それの依頼主になるわけです。線の細い方だともうすでに卒倒しそうですかね。
周りにお住まいの方や歩行者、道路規制などすれば車の方などにも、ものすごい迷惑をかけているのであります。たまに道路工事が近くにきてうるさいなあと思ったことありませんか?あれが半年続くわけです。それの親玉だ。
たいへんな事をしでかしてしまった。そんな感じです。
広い土地の真ん中の作業ならいくらかはましですが、それでも土地にたいしては人間のえごのたたきつけだ。郊外の住宅地はすっきりしていますか? ちょっと前まで木が茂っていた山をブルトーザ−が切り崩した結果です。直接的ではないにしろ結果としてあれの親玉。
もちろんいままでそこに住んでいた小さな動植物たちはいなくなり、 ( 死んじゃったね。 ) 
風景は変り、あーあーそれの依頼主、それが僕ですよ。あなたですよ。
家建てるのいやーになりました。お腹に重い石でも載せられた感じかなあ。
結局、救いの無い事実なのです。 おしまい。
それでは、あまりに辛過ぎる。何とかしろー。そうですよね。
でもこれは事実ですから受け入れるしかありません。
人が生きるって大変ですよね。めいわくのかけっぱなし。すいません、みなさま。
それでも人生は続く〈la vie est dure quand meme elle continue...んん〜渋いー〉
家を建てるのは迷惑です。しかし前からそこにお住まいの方々も多分同じことを通過してそこにいるのだということです。家の歴史なんで特別なものを除けば、たかだか数十の年月しかないのです。俺は建て売り買ったから関係ないとか思っていませんよね。しかしそれは建て売り会社やだれかが同じことをして家があるだけです。それの恩恵にあずかっているのがあなたになるわけですから同じです。ましてやマンションも同じ、賃貸でも同じです。マンションに住んでる方で暴力を自覚している方なんてあまりいないでしょうけれど、よく見かけませんか、住民の方がマンション反対の垂れ幕してあったりするのを。実はあなたの建物もそういう遺恨の産物なのかもしれないのです。マンションがよく住民に反対される理由の多くはつまりデカくタカいからに起因するのです ( まさに勝者の象徴か ) 。一番無自覚になりやすいものですから注意しないとね。コーポラティブは自覚できるからいいかもしれないね。自覚できないコーポラティブなんてインチキかな。
人は生きて行くには住処が必要で、そいつはかなり暴力的に成り立っていて、でもしかしみんなそういうものの恩恵に与っています。だからそんなに卑下することもなく、だからこそ周りに対しての配慮は本当に必要で、一つの家に住むからには出きるだけ長くやさしく住めるといいと思います。あまりにへし折った物言いで伝わらないかもしれませんね。ごめん。
あまり暴力的なるものを推奨したくもないですが、たぶん人間が本来持っているもので、生きるためにはある意味必要なものなのだと思います。祭りの ( たとえば三社祭りとか、パンプロ−ナの祭りだとか、男側からのSexなんてのもそうかな ) あの抜ける様な精神の高揚はそういうものを昇天させているのだと思います。
繰り返します。家を建てるのは暴力的です。でもそんなに卑下することではないと思うのです。だからこそ、十分に周りの方や、環境には配慮をしてください。
僕らも建築がよく分かっていなくて、最初に失敗をしました。古家の解体業者さんに解体はわたしらが周りに挨拶するから、あんたは家を建てる時に挨拶に行くようにと言われました。もちろん解体の時にも挨拶に行くつもりでいたのですが、その道のプロが言うことは正しいのだろうと、それに従った。そしたら解体の前に挨拶もしないで、始めてしまった。当然クレームです。僕は仕事をほうり出して、現場に直行、妻に包みを早急に用意させて、平謝りです。結局は自分の勉強不足、不注意が悪かったのであります。住民の方の気持ちに添えなかったわけです。それ以後はなんとか添える様にいろいろ考えました。僕らは精神をそれ以上の精神で克服しないといけないと感じました。今では親切にしていただいています。ありがたいことです。
そしてありがとう。
建築家さんにそれを期待するのは酷なのかもしれませんが、家づくりのプロデューサーだとしたら、そこいらへんの配慮をこれからの施主さんにできれば伝えてあげていただきたい。建築家さんはどんなトラブルが起きるか経験上、把握できるのだから、ある程度フォローをよろしくお願い致します。だって躓いている施主さんがあまりに多いことはわかっているんでしょうから。そこが設計家と建築家の違いでもあると思います。
とは言っても俺は施主の内部なんて関係ないし、作品さえできればいいなんて考えの建築屋さんはいませんよね。建築中は施主に工事現場を見せないで、出来上がって初めて見せる ( 驚かす ) なんて建築家いないですよね。そんなの建て売りと変わらないよね。やばいところを ( 怒鳴り声とか ) 施主さんも少しは体感したほうがいいですよ。施主さんの自覚は重要だから。たのしいーだけではない苦しいを含んだ楽しさを理解しなくてはね。建築家さんに頼っても、結局住むのは自分です。山嵜さんはいっしょに住んでくれません。
楽しい家づくり
そうは言ってもリアルは存在します。設計の紙面上の問題、頭の中の空想だけではないのです。生きる現場を含めて家づくりです。問題を見つめ、問題を起こしてもそれに添って生きること、考えること、そんなのが重要ではないでしょうか。富士山 ( 海、湖 ) がきれいに見える家が建ったとします。それはすばらしいことです。でも後ろの家はたぶん見えなくなるかもしれません。行政が変り高層マンションがその家の前に建つかもしれません。そんなものです。建築は暴力的、だから力強いやさしさで環境や住民と接しなければなりません。
そんな家を建てる心得どうでしょう。
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