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20 家をたてました 「最後の決戦」

2005.10.19
施工会社は決まった。オンリーワンだ。他に選択肢はもはやない。現場監督は同世代の橋口さん。社長さんが気を回して僕と同世代の方をあててくれたのだろう。
地鎮祭はどうしましょうか。上棟式はやるのか。僕らは決して昔かたぎな人間ではないし、宗教があるのかと聞かれれば、はいとは言いにくい、いわゆるの人間だ。それにお金がかなり切羽詰まってきているし、無くていいものはできればはぶきたいなあぐらいに考えていたのだと思う。それでも、果たしてやらなくていいものか、またそれで僕らとしていいのか少しは考えたかなあ。山?さんに伺っても施主さんが決めることだとクールに言われ、またそのとおりでもあり…。結局決断、地鎮祭をやることにした。我が家はコンクリートだから上棟ということが正直ピンとこないし、どちらかやるのだったら地鎮祭かなあと思ったわけです。地の神さんに許しを乞い、施工する方々の安全を祈り、家をつくることに関わって頂く皆さんの最初の顔合わせみたいな感じでね。
頭デッカチな僕は一応本で地鎮祭のウンチクとやり方はおさらいはしましたが、身を任していれば事はとどこおりなく運びました。たぶん一生にそう何回もやることではないので人生の記念に。エイー、エイー。
それからは地道な施工が約半年以上続く、2月の寒い時期に始まった作業は9月の夏の暑さがやっと終わる頃まで長く長く…。その頃住んでいた所から歩いて30分、車で6分ぐらいの所だったので、仕事に行く前の朝のトレーニングをかねて、ジョギングして様子を見にいったり、仕事の帰りに、立ち寄ったりしましたが、作業中はあまり行けませんでした。たまにペットボトルの飲み物を持って家族で伺ったこともありますが、施工はその仕事内容により、関わる方がいろいろですので、対個人に接することはありませんでした。いたらない施主でしたがみなさんどうもありがとうございます。おかげでいい家で楽しく暮らしています。
そうそうその頃、もし最後に10万円あったら何に使うか。こんなことを漠然と考えていた。細かい現場の調整やコスト管理は橋口さんと設計事務所の功能さんがあたってくれていたのだと思いますが、外壁や個人用電柱なども後から加わったり、家周りの裏戸などをはぶいたり、僕らはまったくタッチしていませんから、これは込み、込みの ( 見積もり金額中の ) ことです。そういうものとは別にポケットに残った最後の10万円があったら、どうするかということで最後にこいつを試みてみようと考えた。家全体からみれば大した額ではないが、1つや2つぐらい、パーツのグレードを上げるぐらいの額にはなるだろうから、気にかかっていたものをひろい出してみた。うちの場合、北側はペアーガラスが使われていたのですが、南側はシングルガラスで予定されていました。特に二階の部屋いっぱいの大きな窓は ( たぶん我が家の花 ) やはりシングルだったのでこれがもし冬、ガラスいっぱいに結露しては花も萎んでしまうのではないかと不安に思っていたので、ここの仕様をペアーにしたらいいかなあと言うことになって、設計事務所の方から施工会社に見積もりをお願いしてもらいました。竹〜。違った、タケ〜 ( 高〜 ) !!。10万円では間に合わない。施工会社との調整は山?さんのところでずっとやっていただいていましたが、ここは一つ施主自ら施工会社に最初で最後の直談判を試みた。しょうがないなーと思ったのかな、困るよなあと思ったのか、一応値切りに応じていただきました。
こんな細かいことは過ぎてしまえば忘却の彼方に消えてしまうものですが、そんな些細なことでも現実の今の自分やこの家を形ずくっていることのエピソードです。
施工、そしてこの家を現実に表現してくださった、施工の方々、特に現場監督の橋口さん、本当にどうもありがとうございます。
このコラムを書き出して、3年弱が過ぎました。そろそろ終わりにしないといけないなあと考えています。だいたい家を建てたことを順をおって書いて来たつもりです。乱筆乱文暴言、ご容赦くださいませ。そういうわけで次回が最終回になります。
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