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18 家をたてました 「17と時間≒生活」

2005.01.25
前回は身体は重要だと書いたつもりですが、文章で身体性について語ること自体の頭でっかちを何だかなあ、と考えつつも、本当の身体は時間がなければ単なる物質になってしまうことに、朝、浴槽でぼーっと思いまして、今回は生の時間であります。
時空間なんて言う言葉は建築ものの教科書にはつきものなのかもしれません。空間に時間軸も入れてしまえと言うものですよね。設計のような紙におとしたものは動かない世界ですが、生活者的視点からいえば 当然、時空間、生きた世界は存在します。たとえば階段という無機的なるものはデザイン側からの視点では動かないものですので、前回でも触れたミニマムデザインは可能です。しかし人間 ( 身体 ) は生きていますので、時間軸と伴に躍動します。デザインに生を受け入れる要素がないと生身の体はまいってしまい、階段から落下死なんてことになったりします。ここで言いたい時間とは生きるということです。
昔っからよく家を建てる時に動線がどうのとか、いいますよね。これも一つの時間軸を空間に収める配慮だと解釈できると思います。ここで勉強をするからこの机の下には床暖を配慮しようとか、ここは書庫だからいらないとか、朝風呂は身体を覚ますのだから明るい光、夜は身体を休ませるのだから暗めの光とかね。
若い建築家さんや勝ち組建築家さんは箱は作るから後は施主のお好きにと、いかにももっともなことを言う方がいますが、僕はあまりいいことの様に思えない。負け組的発想の物言いで申し訳ないが、それでも闘え、苦悩せずして住宅たりえない、住宅するには覚悟決めてください、と言いたい。威張りたい建築家になりたいなら、磯崎さんの「小住宅設計ばんざい」よろしく、住宅やっちゃだめよ。だってこの住宅は某設計といったって、所詮施主さんとの共作でしょ。みんなわかっているんだからかっこわりーし、施主さんに失礼だよ。施主の話を聞けない建築家になりたい方は政治力をつけて、ゼネコンしてください。 ( 偉く、大きくなるための叩き台<パブリケーションとしての>としての小物と考える方もいるかもしれませんけれど、住宅するなら出来るかぎり煮詰めて昇華した方がいいものになると思います。たとえそれが負け組と思われたとしても本物の家を作るんだったら、そのくらい考えて欲しい。建築家さんの中には負けたくないから、その呪縛に捕われている方を見受けられますが、そんな旧近代をまだ引きずっているとしたらもうすでに時代から取り残されてるのじゃないのかなあ。もっとも若い方だと生活体験そのものがまだ貧弱だからまだ分からない部分も多いかもしれませんが、新しい価値観の中で住宅してね。 ( 若い方ごめん、いろいろ考えてください。中途なタイプを模索する方もいると思いますが、建てる者の自己満足にならないように、あくまで闘ってくれと言いたい。そういう意味ではヒヤリング能力は重要 ) <いつものようにわけの分からない言い回しでごめんなさい。文章能力がないものでこれぐらいが限界です。>
身体は時間があって、初めて身体たりえ、身体とは生きることでもありますから、生きる≒生活と考えてもいいと思います。建築と生活は共存しえるかという命題がありますが、前にもちょこっと書いたけど、できると考えます。それがたとえフィクションだとしても闘わずして人間たりえない。
建築がタブローや立体の美術作品との違いはそこにあるのだからやらずしてどうすると思います。だって生きている人間がここに元にいるのだから。それがインチキと言われようともリアルです。
話を現実のほうに戻しましょう。
施主さんは生活者の目 ( 身体/時間 ) を大切に致しましょう。物質を欲張ることが生活ではないことは、考えられる皆様には言うまでもなくわかっていることと思います。だって本当に気持ちがよかったりする生活って質素なものですよね。ただ太陽と海とか、野原で大の字とか、しとしと雨の音とか、恋人さえそこにいればとかね。子供がぐれない動線とか言って、リビングを通らないと子供の部屋にいけないようにする様な ( 別に悪い訳ではございません ) 小手先の方法なんて、逆に考えれば引きこもりの動線でしょ。中に入ったまま外に出ない。生活者の目、何が気持ちいいのか、何が大切なのか、それはお金では解決できることではないはずです。
今回は前回の続きであまりに何だかなあですが、次回は基礎設計が終わってからの我々コアからの建物ストーリーに話を戻します。
P.S.
この独りよがりな高慢な原稿をアップし続けてくださった堤さんに感謝しつつ、未来に幸あれとお祈りいたします。そろそろ打ち切りにされるのかなあと思いながら、おしまいにしてくれの命がくるまで、それでも次回の原稿を考えています。
2004年のクリスマスに考えたこと
平和は強い者や金持ちが一方的にふりかざすことではありえない。ファインが一方的に訴えてもありえない。太陽がハレーと毎日を晴天にしては水がかれてしまう。弱い者やお金が無いものが塞がれてはありえないし、バッドが発言できないものでもいけない、月がなければならないし、雨がなくてはいけない。また負け犬根性丸出しや被害妄想を気づかないのは悲しい。
世界だけではなく、小さな社会や個々人の内部でも同じ様に陽、陰のバランスが重要と思う。強い者は陰 ( シェード ) を特に配慮するべきです。だって意識しないとファイン系陽性が力や金をふるってしまうから。あらそいは強い者の陽に、反感をもつ弱い者 ( 陰 ) が切れて怒りが爆発しておこることが多いのです。強い者は陰部に配慮して商売していただきたい。それがルールでしょ。明るく商売なんて言ってる方、注意です。一人勝ちではいけない、他者がなくして商売なんて成り立たないのですから。
家でも同じ、明るければいいってものでは無いはずだ。金があればもちろんいいってわけではまったくない。環境の配慮、隣家など気を配ってほしいよ。いまさら関係性 ( 構造主義 ) ではないけれど陽だけでない陰とのバランスを新しい建築家さんには強く意識していただきたいです。
そんなメッセージ届くといいなあ…。
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