U2-HOUSE

03 家をたてました

2003.01.07
鉄筋コンクリートと言えば冬寒く、夏暑いと言う事になっている。これは事実だろう。しかし現代建築家の自邸はおそらくこの鉄筋コンクリートが多いのではないんだろうか。自虐的な行為か、はたまたお勉強のしすぎの頭でっかちか、真相はわからない。構造強度の強さ、自由な造型を可能にするオートクチュール的工法。たしかに魅力はある。最近では外断熱のコンクリート物で快適さをも加味した家も増えてきている。
今年の冬は寒い。我が家も何だか寒そうだ。厳しい冬になりそうな感じだ。寒いと人は厳しくなってくる。私は厳しいスエーデン人になってきたぞ〜?。でもちょこっとブラインドを入れたら大分違う。デンマーク人になってきたぞー、ぐらいかな。

家についての本を読んだ。知らないことだらけだから興味がある。ディープに沢山。家と言う物についての考察から具体的な家の建て方、現代建築家のエッセイや現代建築の歴史、屋上緑化等、五十冊はオーバーかもしれないがそれくらい。雑誌を合わせると150冊ぐらいではないだろうか。引っ越しの数日前にだいたい古本屋に出してしまったが、完全なお宅オタクになってしまった。何度か本を出しに行っていたので、最後は古本屋のご主人が「ははあ、それでお家ができたわけですね?」。「は、はい、出来ました。」
時空間、ユニバーサルデザイン、ハイテク構造、有機的な空間、建ぺい率、容積率緩和、外断熱、北側斜線、こんな言葉とは関係ないところで生きてきた。今までは気にもとめていなかった建物や屋根の形が眼に入るようになってしまった。「あれ北側斜線がしんどいね。」「あれちょっとデコン入ってない?」「あれはライト風ね」なんていやらしい見方をしたりして...知らずにいた目の前にある楽しみの虜になった。
一般の家ものの書籍は圧倒的に木造住宅に関する物が多い。木はナチュラルな素材でコンクリートや鉄骨より馴染みやすい。日本では昔から木造建築が殆どだし、調湿性などを考えても日本の風土にあっている。まあこんな切り口だ。もちろんこれは嘘ではない。僕も素直に木は何かいい感じがする。本の中でも ( <すっぴんの、木の家。>すっぴんの、木の家。編集委員会編 海象社  ) を読んで家づくりにぐっと興味がわいたのも事実だ。家のモジュールや空調の考え方 ( ここではOMソーラーでした。 ) 、素材の木とジョイントの金具、塗り壁等こんな風に家はできているのかと感心した。そして最近ではそれに「外断熱」ものが加わる。内部結露は恐いそうで読めばああそうなのかと思ってしまう。木造建築で外断熱、これできまりと言う論調だ。我が家も当然そうしたといいたいところだがさにあらず。何度か木造にするかで検討を重ねられたが結局コンクリートの構造になった。また外断熱でもない。 ( ちなみにコンクリートは天然素材です。 ) そのことについてはいずれ触れようと思うが、本というのは参考にはなるが一つの意見でしかないのだと言いたい。1、2冊の本を読んで分かったつもりになってはいけない。まあそれもいいか。
家について考えた著書で面白かったものに ( <「家をつくる」ということ> 藤原智美著 プレジデント社 ) と言う本がある。家とは何ぞということを作家らしく見つめている。僕としてはちょっと?と思ってしまうことも多かったが一つの切り口としてはかなり頷ける。「家とは劇場。家族とは役者、幸せ芝居の参加者だ。」なんて言葉ではなかったと思うが、僕の印象 ( 誤読 ) ではそんな内容だった様に思う。
家を建てる家庭において夫婦のキャラ ( 性格 ) は色濃く、否応なしに出る。真剣勝負に向かう時、のめり込んでしまう人、他人ごとにしてしまう人、ワンマンになってしまう人。思考好みの違い。成田離婚じゃないが、新築離婚にならないように、家について、家族について、考えてみるのもいいことだろうと思う。逆に考えない方法もあるが、少なくとも家が豊かな生活を与えてくれるわけではない。自分達次第なのは言うまでもない。貧しくとも豊かな生活はどこにでもあるどころか、多いのではと思ってしまうのは僕らだけではないだろう。
本紹介の様相を呈してきましたが、 ( <空間の詩学> ガストン · バシュラール 思想社 )  は何度読んでもいい本だ。空間や水とか火とか夢とかのイマジネーションについて思索している。偉そうにも若い建築屋さんには進めたい本だ。言葉になる前の想像物、空間の抒情、そして立ち現われる叙事。僕らとしては品のある家を作るには ( 空間に詩学がなければいけないのです。<あほらしいなんて言う人もいるんだろうなあ> ) 建築家に託すのが賢明なのだから。
雑誌はいろいろ見たが最初の頃は一般的なものを嘗めるように見るというより読んでいた。<新しい住まいの設計><ニューハウス><モダンリビング>等。「これで建築費が1000万円台!んんーすごい。」「この吹き抜け、何という開放感」まるでだれかの台詞みたいなことを言っていた。これらの雑誌は建築家を選ぶのに参考になると思う。また良いか悪いか知らないが記号としての施設、設備等の知識を僕らに伝えてくれる。「高い天井」「吹き抜け」「天窓」「ハイサイドライト」「庭に面した露天風呂風お風呂 ( たまりません ) 」「隠れ部屋の様な屋根裏」「コートハウス」「バルコニーのデッキ」「床暖房」「PS空調機」「OMソーラ」「IHクッカー」「ジェットバス」「常務用調理設備」「薪ストーブ」「珪藻土の塗り壁」「船舶照明」全て欲望をそそる物ばかり。いやらしいほどこれらの記号は僕らの脳裏にへばりつく。逆にいえばこれらの語彙のない家こそ、すばらしく普通な家なのかもしれないが現代性を否定してもしょうがないのでバランスよく、懐疑しながら、取り入れるといいのかもしれない。ごたぶんにもれず我が家にも「吹き抜け」と「床暖房」は来た。取っ掛かりにはこれらの雑誌はとても勉強になったがだんだんあまりにファインな写真や内容がちょっと鼻についてしまった。 ( 個人的見解です。関係者の方ご容赦願います。 ) そうすると<新建築 住宅特集>に目を通すようになった。建築写真というものとはこんな物と言う感じ。こちらはだいたい住む前の家の写真ですてきな生活や明るい家庭を表現しているのではなく、かっちょよい家 ( かっこわるー? ) を撮ったものが中心だ。建築学会の中でもかなりキイになっているであろう雑誌で、ある意味権威的な感じがするので若手建築家にとってうまく立ち回らないとつぶされかねない要素もはらんでいたりしそうだ。最も空白の場所に家をおっ建てるのが建築家なのだから、たくましく関わっていただきたい。だいたい建築家の方ってえらがはってるでしょ ( 冗談 ) 。そうは言っても写真のグレードが高く、現代建築を考えるなら参考になる。僕としても参考になった。それは建築家の名前でも設備でもなく、家の品 ( ひん ) ということだ。きれいということではない。写真はあきらかに実際の家とは次元を異にするものだが、品はつぶさに現れる。一番いいのは実際に見に行くことだろうが、むりなことが多いだろうし、そんな時雑誌としては抜きでている。もちろん世界の住宅が出ているものや、名作と言われる家の出ているものにも品はたえず付きまとう。
頭でっかちはみなさまにご迷惑をかけることが多い。しかしこと家を立てる場合、ほとんどの建て主の方が始めてのことばかりでそうならざるおえないのでは無かろうか。偉い建築家の方は言う。よけいな口を出さないで全てを信じて任せなさいと。始めに建て主に手管を使わず要望を言わせて ( まるごしにして ) 、後は俺様がと言うすんぽうだ。果たしてそれでいいのか。僕は絶対違うと思う。少なくとも僕はそうしたくなかった。自分の家なんだから他人に任せきりにしてはいけない。家は地上に現われる。その責任は結局自分に帰属する。昔は施主と建築家はだいたい喧嘩をしながら家を建てるものだと言われていたそうだ。さすがに現代ではそんなことも少ないだろうが人と人のぶつかり合いがないものはだめだ。愛がない。建て主側の圧倒的な欲望でバランスを欠いた家は醜いが建築家のお作品的な家もやはり悲しい。両者のバランスの中で家は磨かれるのではないだろうか。
本は言葉で出来ている。人間の思索は言葉で作られる。言葉のない思索は消えてしまう。読み書きが重要なのはそういう事だと思う。本は非力な建て主のいくらかの力になる。全てを鵜呑みにしてはもちろんいけない。さあ建築家さんに挑みましょう。
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